2006年私的がっかりヒットランキング

5階のベランダに出て外を見たら,ほぼ目線の高さに月があった.地球は相変わらず丸いね.


今年一年を無理矢理振り返って見た.
例年と比較して突出したイベントのある年では無かったものの(あとひと月あるけど),敢えて印象に残った点を挙げるならば,やけに悪目立ちが多かったというか何というか,“自分の好きだったものが比較的メジャな位置に進出して来たものの,その売れ方が酷くてがっかり”がちょっと多い年だった様に感じる.
だったもので,そんな“がっかりヒット”をランキングにしてみた.


第5位 やわらか戦車
一体何を間違ったのか,むしろ何処で売れたのか.全く以て理解不能.作者の昔の作品(カレーパン持って回ってるだけの奴とか,鼻がとれるコアラとか,1upちゃんとか)が大好きだっただけに,遺憾の意を禁じ得ない.
余談ではあるが,GB版星のカービィ2において,スコアを最大(9999900くらいだったと思う)まで稼ぐと,ザコ敵を一匹倒すごとに残基がひとつ増えるようになる.敵にぶつかって破壊した場合も1upになる.その時の状況と,殴られると1upするあの娘のイメージがやたら重なったのが,実に印象深い.


第4位 桜塚やっくん
あばれヌンチャク時代が大好きだっただけに,遺憾の意を禁じ得ない.きっと本人も大変なのだろう.


第3位 カクレカラクリ
森博嗣作品,遂に映像化.しかもテレビ進出.最早何も言うまい.
まあ,元々森博嗣を知らない視聴者はドラマの原作者など気にしていないだろうし,ヒットと呼ぶほどのものでは無かったのだろう.


第2位 マックのあのCM
実に久しい,ラーメンズ2人揃ってのテレビCM出演.CMとしての出来は良いと思うし,自分は好きですよ.
CMとして見なければ良作.むしろ良策.


第1位 BONNIE PINK
エビ売れて!舐めとんのか!


思い返すごとに釈然としないものが込み上げて来るこのランキング.来年はノミネート無しを期待する.

マックイメージ2+α

今回はマッキントッシュの方.
自分はマックを碌に使ったことが無いので,ウィンドウズとどっちが良いとか,どっちが崇高かとか,そんなことは知らない.ていうか,どっちも嫌い.
ラーメンズ出演のあのCMを見て―いや別に,マックに対する印象が著しく悪くなったとか,ラーメンズを見損なったとか,そういうマイナスの感情は特にないのだけれど.ただなんというか,こういう対立の構図を以前どこかで見た様な…と感じて.その数日後に,ああ,一時期のプレイステーションvs.セガサターンを彷彿とさせるな.という感想に行き着いた次第.
マックは皮肉,セガは自虐と,表現の形態はほぼ真逆だけれど(米国と日本の違いと解釈するのは,さすがに短絡的か),露骨な対抗意識と劣等感を感じざるを得ない,という点においてはほぼ共通の印象.“マッキントッシュ,ハード事業から撤退.今後はウィンドウズ向けのソフト開発へ”とか言うことになったら,セガみたいでもっと面白いのだけど.あんまり言うとマック派の人に悪いので,言わない.
市場において明確な,しかも明らかに格上の対抗企業がいるというのは事実だから(一応言っておくけど,挑発しているつもりはない),対抗意識を見せることが悪いなどと言うつもりは毛頭無いのだけれど.あまりにも内輪受けのCMに見えて仕方が無い.
ところで,一時期のセガには強烈な信者が多数存在したらしく(今もか),その辺にも共通するものを感じるのだけれど,“ウィンドウズ信者”という言葉はあまり聞かないし,そういう人を見た記憶は,今のところ無い(居るところには居るのだろう).熱烈な信者が居る企業は大成功しない,などと言いたいのでは無い.言いたいのは,ある程度大きな市場では,そういった層が大局には与える影響は(統計的に)少ないようだ,ということ.そういった層を狙い撃ちする方針は明らかに,トップを狙う者の姿勢では無い.
つまり,あのマックCMのターゲット層は,ウィンドウズ使用者でなく,あくまで既存のマックファンに対するサービスである.というのが,私の解釈.
ゲームハードとしては不要と思われる程のハイスペックを備えたPS3は,“ゲーム機としては不要に高すぎる”とか“ゲーム愛好家の需要に見合っていない”とか,色々文句を付けられている(気がする).しかしPS3が“ハイスペックゲームを嗜好するコアなゲーマー”や“ソニーの技術力に魅せられた熱烈な信者”に向けて作られた物で無いことは明らかである.

思いついたかのように社会派を気取る深夜

先週辺りに気づいたこと.
経済学者に環境問題を語らせてはならない.


そんなことを改めて再認識されられるニュースを先週どこかで読んだのだけれど,どこで見たのかもう忘れてしまった.
よく覚えてないけれど,経済学者を中心にしたメンバが,対費用効果がどうだとか,それによる諸問題への優先順位がどうだとかそういう議論をしてて,その結果,地球温暖化対策は極めて優先順位が低いという結論が出ていた.そんな記事.
結論に文句がある訳ではなくて,その結論は,おそらく正しい.むしろ,あまりにも当たり前の結論が堂々と提示されていることに,なんとなく,項垂れてしまったことだけは覚えている.
対費用効果が小さいというのは,環境問題を問題たらしめている原因そのものであって,それが無ければ,環境問題等というものは,そもそも起こらない.現在の科学技術においては,経済の発展は常に環境破壊を伴うというジレンマを抱えている.
将来的には解消される問題なのかというと,それは少々面倒臭い疑問なのだけれど,個人的には,永遠に解消されない問題だと思っている.ある程度までは緩和されるだろう,という程度である.
環境対策の対費用効果を高めることは,主に技術者,及び研究者の役割であると思う.しかし,その働きにも限界があるし,現状,あまり喜ばしい成果は挙げられていないように見える.
環境問題は,国家の財政問題に似ている.早い話が,あまりにも前借りの借金,もしくは財産の食い潰しから生じる問題である.あまりにも規模が大きく,当時判断を下した人間が生きている内には,問題にならないという点も酷似している.

現在4日遅れで公開しています.

テレビ版カクレカラクリの感想とか書くつもりだったのだけど,
何を書いても皮肉にしか取られ兼ねない雰囲気を感じたので,敢え無く辞退.
むしろ,放映前に感想を書いておくのがベターだったのでは.一部では良くある事だし.


ただ,番組放映に至るまでの流れは実に面白かったし,
番組への反響も,一部では激しかった様で,個人的には充分楽しめた.


特に,番組終了後の
“ドラマ終了後もweb上でカラクリを楽しもう”
のコメントは秀逸.電通の匂いを感じる.


そもそもテレビドラマであるという時点で,純粋な意味での期待はしていなかったし,
森博嗣読者向けの作品になど,成る筈が無い.
むしろ,アニメ化の方がまだ期待が持てると思うのだけど,そういった流れは無いのだろうか.


むしろ今回,テレビドラマ化を承知したこと自体が,
既存のテレビメディアに対する森博嗣なりの皮肉だったのである
などと勘繰ってはいけない.

旅行三昧

明日から新潟へ行く.自動車免許の合宿で,最短16日の旅.
思い返すと,こんなに長期間の旅行に赴くのは,ひょっとして人生初なんじゃないだろうか.
以前は遠くへ出掛けることに殆ど魅力を感じて居なかったのだが,最近はかなり前向きである.
ちなみに,海外には特別な興味を感じていない.
行ってみたい場所は幾つかあるけど,日本にも行ったことの無い場所は幾らでもある.
何より,場所にはあまり拘らない.夏は避暑地へ,等と思うことも無い.
普段住んでいる街や景色が目に入らないことが何より重要である.
そういう意味では,近場よりちょっとは遠い方が良い.
田舎に行きたい,と思うことはまずない.不便な場所には短期間でも居たくない.
現地に着いたら,日本海を見るより先に,近くのゲームセンターに向かう人間である.
土産物のラインナップより,自販機やコンビニの品揃えに興味が向かう性格である.

説得力というもの


最近,人の言う事が信じられない.どれ程聞こえの良い思想を語られても,所詮口でなら何とでも…と思って,穿った解釈をしてしまう.
特に,口を付いてスラスラと流れ出てくる発言に関しては,その傾向が顕著だ.その人の発言テンプレートに従って,条件反射的に繰り出されている様にしか聞こえない(最早,無条件反射では無いのか,と思える場合すらある).


二人の人間から似た内容の発言を聞いた時,片方には共感し,もう片方には反発したくなることが度々ある.
当然ながら,二者は同様の理屈を述べている.誰が語ろうが,理屈は理屈である.同様の理屈に対し,発言者によって,その理屈の正当性が異なる,などという事はありえない.
つまり私は,理屈の正当性によって,その発言を評価しているのでは無い.
それでは私は,何を基準にその発言を評価しているのか.
答えは簡単.“誰が発言したか”で判断している.
同じ理屈でも,然るべき誰かが言えば納得するし,そうでない人間が言えば,反論もしくは無視する.


つまり,説得力は,理屈そのものの正当性に付随する要素では無い,ということ.
では何に由来するかと言えば,“発言者”で八割方正解なのだが,それでは少々言葉が足りない(足りない部分の詳細については,煩雑になるので割愛する).
やや丁寧に説明するならば,“発言者の言行の一致性”である.
毎朝寝坊している人間に「朝,早く起きるべきだ」と言われても,早く起きる気にはなれない.
朝は早いものの成果を出していない人間に「早起きが優れた結果をもたらす」と言われても,そうは思えない.
逆に,いつも寝坊して成果を出していない人間に「朝早く起きても効率は上がらない」と言われても,言い訳にしか聞こえない.
重要なのは「誰が言ったか」である.“誰が”というのは,“今までに何を言い,何事を為してきた人間が”と言う意味である.


当然ながら,私のこの認識に対する一切の反論は無駄である.無駄と言うのは,私に対して説得力が発生しない,という意味である.
逆に言えば,私はこの理屈の正当性を主張するつもりは一切無い,理解を要求した瞬間に,矛盾が生じるからである(ただし,矛盾した論理が説得力を持つ場合もある).
しかしそれは,“論説である以上は無駄”と言う意味だ.
然るべき人間が,「その主張は間違っている」と一喝すれば,私の認識が即座に変更される可能性はあり得る.
その然るべき人間が,私が一切知らない赤の他人であることはまず有り得ないし,今のところ,私の周りにそういう人間は見当たらない.


以上を踏まえて,一行目の悩みに対する回答を類推すると
私は自分の居場所を変えるべきなのではないか,という提案に行き着く.