螺子子ちゃん その2

計37つのネジの締め具合によって生身の人間が見せる様々な表情を完璧に再現することを可能とした新型の人形であるネジコちゃんは,ここ最近の僕の興味を惹きつけて止まない.説明書の支持通りに計37つのネジをひとつひとつ絶妙の締め具合で調節してやると,その人形は僕が生まれてから今まで一度もお目に掛かったことも無いような極上の笑みを僕だけに向けてくれた.
またある日は別の締め方を試してみることで,感情の無い人形が見せるにはあまりにも同情を誘う憂いに満ちた表情や,背筋が凍りつくような激昂の表情までをも再現して見せた.ところで僕は,ネジを締める間はネジの頭に神経を集中し,当然視点もその一点のみに注いでいた.37のネジは前方からの美観を考慮して全て後頭部に設置してあるため,表情を完成させる前段階の表情形成の途中にあたる人形の表情を確認したことは,実のところ今まで一度も無かった.
しばらくすると説明書に記載された数々の表情をひととおり試し終えてしまい,いくら生命の注ぎ込まれたかの如き活き活きとしたネジコちゃんの表情とはいえ,眉ひとつ動かすことの無い左右対照の完璧な人形の容貌には,少々の飽きを感じずにはいられない状況となっていた.
ある日説明書を読み間違えて,37あるネジの内たったひとつの締め具合を甚だしく間違えてしまい,それに気づかないまま完成品であるはずのネジコちゃんの顔を見てしまった.そこに浮かんだ表情は,普通の人間がどう足掻いて顔面の筋肉を駆使したところで,到底再現出来るものではなかった.その顔に若干の不快感と言い知れようのない違和感を感じると同時に,僕はこの人形の持つ本当の可能性というものに気づき多大な衝撃を受けた.人形はどう足掻いても人間にはなれないが,人間だってどう足掻いても人形にはなれないのだ.しかし両者は対等の関係には無い.人形に対し憧れを抱く人間は数多いても,人間になりたいなどと思っている人形は,実のところたったの一人とて存在しないのだ.