研究発表の意義.若しくは異議


心の準備だけでは心許ないので
発表用の原稿を書いて,発表練習に臨みました.
だからほとんど原稿を読むだけの発表で
だったら聴衆にその原稿読ませればいいじゃん,とか思ってしまうのだけど.
そんなもの,皆わざわざ読みたがらない.


座っていれば,勝手に読み上げてくれる
図付きの解説も入れてくれる.
興味のあるところだけ見ればよい
理解が追いつかない部分は,読み返せない.
これだけの条件が揃えば,よほど集中して聞かない限り
口当たり良く,都合の良い部分ばかりが,強調されて聞き手の印象に残り得る.
つまりはそれが,パワーポイントの持て囃される理由なのでしょうけど.


今回のプレゼンに向けては,原稿を書きました.
何故わざわざ書いたのかというと,一番の理由は,聞き手がレジュメを持っていないからです.
ちなみに,2番目の理由は,モチベーションの問題.
当然ながら,普段はやる気があるので原稿を書きません.
原稿無しで発表する方が,有りで発表するよりも幾許か精神力を使います.
ただし,誠意は届いていないでしょう.
本番では,1日に50人近くの学生が発表します.
聞く側は,50部のレジュメを読む気にも持ち帰る気にもならない.
だから,パワポになる.
研究の本質とは,まるで関係の無いお話.


ゼミの発表では,いつも原稿を読みません.
レジュメに書いてある文章も,基本的に読みません.
しかし,情報として本当に残したいと考えたものは,すべてレジュメに書きます.
それでは一体,自分はゼミで何を喋っているのかというと,書き漏らしたことを喋っています.
換言すれば,書く程のことでは無いと思ったこと.
大体,聞き手の理解を促進するための補足だけを喋って終わりにするのです.


以上纏めます(プレゼンっぽい言い回し)
自分が卒研発表会で発表すること.
それは,形として未来に残らないデータ.
残念ながら,それが客観的な卒業研究の結果です.