らき☆すた 第一話の演出に見るこのアニメの方向性

ガチでアニメ考察をしてみようと思うので、興味の無い人はなるべく読まないで下さい。
上手く言語化出来なくて、解釈に齟齬が生じるかも知れません。でも聞いて、とまでは言わないですが。


冒頭の短距離走のシーン、よーいドン!の銃声と共に、スローモーションでのクラウチングスタート。タイトル通りに、実際に“つっぱしる”こなたの姿。微妙にブレながら、秒単位で位置の切り替わるカメラワーク。躍動感の演出、既に定着しつつある京アニブランドのイメージ、思わず「おお」と唸らされる、躍動感溢れる人間の動き。
しかし、それも一瞬。コミカルな加速の演出を挟んでゴール。ストップウォッチを握るのは、躍動感の正反対を体現する鈍キャラのつかさ。間の抜けた声で「おぉー、さすがこなちゃん」と彼女が発した瞬間から、ゆるゆるでずぶずぶな、らき☆すたの世界観に塗り換わる。それ以降、少なくとも4話終了時に至るまでは、このシーンの様なリアルな映像、たった数秒でハイクオリティを体感させられる様な、生々しい演出は影を潜めている。

その後の会話
つかさ「こんなにスポーツ出来るのに、なんで運動部とかに入らないの?」
こなた「だって部活に入るとさぁ、ゴールデンタイムのアニメが見れないじゃん」


と、ここまでの部分。
このやり取りこそが、らき☆すたアニメ版に対するヤマカンの意識というか、どんな感じでこのアニメを作っていくか、みたいなものを暗示している様に思える。


どうやら原作では、実際に走っているシーンは殆ど描写されていないとか(4コマだからね)。つまりあのシーンは、アニメ版の完全なパフォーマンス。
ハイクオリティな映像で一躍注目を集めた京アニである。視聴者の中には否が応でも、アクティブな映像や、派手なアクションシーンの様な映像を求める気持ちがあるはず。そして、ヤマカンには実際に、そういう映像を作り上げる能力があると思われる。それを見せ付けるが如くの、圧倒的なOPのダンス映像。そして短距離走


それに続く2人の会話には、原作のエピソードを巧みに利用したヤマカンなりのメッセージが込められている様に思える。もっと躍動的な映像を作る力があるのに敢えて、らき☆すたは平べったい映像で淡々とやっていくよ、という意思を見せたのではないかなぁと、自分には思える(その意思が良いか悪いかについては、ここでは一切問題にしない)。


視聴者「こんな映像が作れるのに、どうしてもっとキャラを動かさないの?」
ヤマカン「だって動かしすぎるとさぁ、らき☆すた でやる意味無いじゃん」


みたいなね。いや、まあ、所詮妄想ですけど。


以下余談
ヤマカン監督降板って話題を聞いたので、これを機にらき☆すた4話までを見直しました。ネタなのかマジなのかは、5話を見ないことにはなんとも言えないけど、ミステリーの解決編を待つみたいな心境で色々と楽しみです。